
今日はちょっとややこしい話でも書きますか(笑)
若いころは「自分って何者なんだろう?」って思っていた時期がありました。自分のアイデンティティを模索していたんですね。―自分のアイデンティティの模索―ってなんだか青春感強すぎてこそばゆいですね(笑)
でも結構長い事考えていた気がします。自分って何だろう?って(笑)
個人的にはアイデンティティの在り方って2種類あると思っていて、それが精神的アイデンティティと社会的アイデンティティですね。
【精神的アイデンティティ―自分を自分と認識する事―】
アイデンティティってよく自己同一性なんて呼ばれますけどこれまた個人的には自己認識と言った方が僕の解釈とは一致します。自己同一性はどちらかというと精神的な部分のみをさしてるという感覚です。
とはいえ、アイデンティティ形成要因として言われているような
同一性―自分は自分であると自覚する事
連続性―昨日の自分と今日の自分は同じ自分である事
対立性―目の前の人と自分は違う人間である事
とかは「え?当たり前じゃん(笑)」ってなると思います。僕もそう思います。ただもう少しだけ考えてみると、依存性、共感性が高すぎると「自分が思っている事は相手も思っている」とか、「あの人がいないと生きていけない」みたいな感覚って自分の中の”対立性”の部分が結構曖昧になっていたりします。そうした精神的”揺らぎ”の部分を自覚してアイデンティティの形成をしていったりします。
昨日はなんであんなに感情的に怒ったんだろう?とか昨日の自分の行動を今日の自分が理解できないとかは連続性が揺らいでいるかもです。
自分を自分として認識する、一見当たり前なんですけど心の中では常に揺らいでいる状態というのは自覚して今の自分の心の在りようを僕はチェックするようにしています。
ちなみに、適度に揺らぐ自分を受け入れる方が個人的には心の在りようとしては健全なのかな?とは思っています(笑)
【社会的アイデンティティ―海の中の自分―】
社会的アイデンティティの確立って、若いころは「金銭的自立」だと思っていました。でもおっさんになって(笑)もう少し複雑なのかな?って思うようになったのは事実ですね。
めちゃくちゃ抽象的な話をします。
「社会」という何だか正体不明で不定形で常に変化しているようなものの中に「自分」が放り込まれます。イメージとしては視界も効かない海の中ですね。周りにも自分と同様、海の中に放り込まれた人たちがいっぱいいます。
「自分」はどこにいるかも分からず前後左右上下とフラフラしていきます。
そんな中で、自分と他者との関係性や社会的役割を少しずつ自覚していきます。
すると、だんだんと自分の立ち位置が見えるようになって、視界も開けていく。
その頃には自分はその海の中での立ち振る舞いが分かってくるんですね。
自分の立ち位置を自覚、理解して周りへの影響力をも自覚、理解する。僕の中の社会的アイデンティティの形成はこんなイメージです。
【まとめ】
自分に興味を持ち、「自分って何だ?」を考えて自己理解を深めようと思ったのは20代前半。それからがむしゃらに働いて自分のお給料で一人で生活をしていればこれは立派な”自立”だと思っていましたが、何だかどうやら違うようだぞ?と思い始めたのは40になってから。全然遅いですね(笑)
今の自分は自己理解を深めつつ、社会的役割を認識して自分というものを確立している気になっています(笑)
精神的なアイデンティティさえあれば充分、ではなく社会的アイデンティティとの両輪、が今の僕の結論に近い自己認識だと思っています。
・・・でもまだまだこの考えも変わっていくんだろうなーって予感はしていますよ(笑)


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